49日眺めていた壺と骨

葬儀を終え、骨壷を持ち帰った。白い祭壇を設え、骨壷を置いた。四十九日の法要が済むまでは
こうして弔うしかない。壺には、遺骨が詰まっている。数日前まで生きていた親しきものの骨である。人というものの命の儚さを痛いほど感じた。親しき身内として数日前までそこにいたはずの人が、今ではもう骨となりこんなにも小さな壺に納まるばかりである。何ということだろう。こんなにも脆く儚いものであったのか。人とは。人の命とは。誰しもいつかはこんな風に骨ばかりとなり墓に眠ることになるのだ。永遠に。そう思えば、今頭をもたげている重すぎるものも、そんなにも四六時中責め苛むことなどないと思えるのではないだろうか?誰もいなくなってしまったのだな。静けさの中、骨壷を眺めやりつくづく思ったものだ。賑やかに大家族として暮らしていたはずが、しんと静けさばかりが際立つ。そうか、誰もいなくなってしまったのか。壺の蓋を開け、骨を覗きこんだ。いくつもの小説になっているが、大切な人の骨とはこんなにも寂しいものであったのか。